教育目标
掌握知识,具备洞察力,富有爱心,明确真正重要的事情。
学习与装饰和外表不同,应该开阔自己的视野,不断遇见新的自己。
所谓的“自由”不是停止不动,维持现状。朝着自己成长的方向不断前进的状态才是“自由的我”。
本校目标是让学生在获得“自由”的同时,在学习上也有跨越式的发展。使学生不断充实最低限度的学习能力与发展性的学习能力。
学校简介
1962年札幌市西区琴似町八軒一带因为高中生急剧增加,北星学校因此开始有建立学校的想法。以基督教为教学理念的男子普通高校的开学标志着北星学园男子高校诞生。1962年4月迎来235名学生。1963-1968年学校不断追求自由与连带的协调。如今日本少子化现象逐渐推进,本校也在激烈竞争中不断寻求新的出路,在应试教育竞争偏激的时代,学校在基督教信仰的基础上更加注重培养学生的人格精神。
教育目标
知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊になり、本当の重要なことを見分けられるように。
「学ぶ」ことは、上着やアクセサリーのように身につけるものとは違い、視野の広がった「新しい私」と出逢い続けることです。
また、「自由」とは立ち止って現状維持することではありません。自己が成長する方向に向かって歩み続けている状態、それが「自由な私」です。
本校では、「私の自由」を獲得する「学び」へ飛躍させることを目指しています。
「最低限全生徒に習得させる学力」「発展的な学習を希望する生徒への学力」に対する支援体制も充実しています。
基督教教学理念
北星学園は、聖書を土台とするキリスト教主義学校として、心や人格を育む教育を大切にしながら一世紀以上にわたる歴史を歩み続けてきました。
本校には「学校礼拝」や「聖書科の授業」がありますが、皆さんをキリスト教に感化させることや、単なるキリスト教の知識の集積を目的としていません。
学校は「生きる力」を育む場です。授業やクラスでの取り組み、行事や部活動。あらゆる活動を通して「生きる力」を養いますが、本校は「いかに生きるか」を考える柱として、聖書を大切にしています。
聖書には「他者を生かし他者に生かされる関係の中で生きる」ためのヒントや問いかけ、励ましや慰めの言葉が詰められています。聖書の働きかけ受けながら、かけがえのない自分の命を見つめます。
校长致辞
挑戦する気持ちを持って飛躍するとき
北星学園大学附属高等学校 学校長 今城慰作
高校生活は、自分と向き合い、自分探しのときであり、学力を鍛え、社会に踏み出す準備のときでもある。厳しさや苦難を避けて人は成長しません。挑戦する気持ちをもって飛躍するときです。
北星学園は、創立者であるサラ・C・スミス先生が「社会に対して有用な人材の育成」を目指して、1887年、札幌市の人口が4万人前後の時代に女学校として 教育活動を始めた学園です。
北星学園大学附属高等学校は1962年に創立され、当時は男子高校としてスタートしましたが、現在は男女共学の大学附属高校です。
プロテスタント・キリスト教主義の精神に基づく「人づくり」を目指し、生徒も教師も共に育つ「共育」を大切にしています。 また聖書から”The truth will liberate you.(真理はあなたたちを自由にするでしょう)” という聖句を掲げています。 高校生活の中で「真理とは」「自由とは」と日々問いかけ、学習でクラブ活動や諸活動で 仲間たちと共にそれぞれの人生の土台を形成していくことを願っています。
不透明な時代、本物が見えない時代の中にあって、聖書に基づく確かな価値観を養い、視野を広く持ってどのような経験も大切にしていただきたい。
多様な学びの中で一人ひとりが鍛えられ、強い精神力、忍耐力、批判力等を養うと共に平和や愛について学びつつ高校生活を過ごしてもらいたいと思います。
学校历史
草創のとき ~創立期の北星学園男子高等学校~ (1962〜1964)
1962年、札幌市西区琴似町八軒の地に、高校生急増問題にこたえつつ、北星学園が念願していた、プロテスタント・キリスト教による男子普通高校を開校し、北星学園男子高等学校が誕生した。北海道最初の屯田兵入植地・琴似に学園教育の種が蒔かれた。初代校長には山崎金次郎校長が着任し、創立期の教職員たちは、新しい学校づくりに意欲と情熱を傾けた。
1962年4月235名の第1期生を迎え、教育活動をスタートさせたが、教育環境や条件は劣悪だった。校舎建築工事は3期にわたっていたため、開校のときには管理棟と北側校舎のみで、渡り廊下で体育授業を行う有様だった。グランドは広大だったが、当初はまだ一面雑草だらけで、馬が放牧されているような状況であった。学校体制は、しかし、徐々に整えられていく。生徒会が誕生し、植樹など環境整備活動、また修養会、弁論大会、文化祭などの行事に取り組む。創立記念手稲山強行登山が開始される。PTAも結成され、校舎建築に関わるなど積極的な活動を展開していく。だが生活指導など現実はきびしいものだった。職員会議はたびたび深夜に及んだ。その中で、教師たちは今後の学校づくりの方向を模索していったのである。第1回教職員研修会が開かれ、討論のすえに「教育規範」を全員で確認しあった。その直後に教職員集団は大きな試練を受ける。第1回文化祭の直後に起こった。「聖火ランナー応援事件」である。生徒集会をとおして、彼らの不満や要求が噴出した。「差別教育反対!」「先生との信頼関係を密接に!」―『教育規範』の精神が検証された。「生徒を信頼し、生徒の真直な成長のために奉仕する」教育=民主的な人間教育の立場と方向が追求されていく。
自由と連帯を求めて(1965〜1968)
この時期は、教職員・生徒・父母による学校づくりの開花期とも言えるものであった。第2代・石突 征校長時代に入る。教師研修会は、自主的な教育運動づくりを目指す諸活動の一つとして定着していく。本校の教育方針を示してきた「教育規範」は、研修会などの討議をふまえて、「教育綱領」となり、一層体系的に整理されていく。生徒会活動もその体制や諸行事を整えつつ前進した時期であった。 修養会はサマーキャンプとなり、文化祭は”フィリア”(友愛)祭と改称される。文化月間は講演、観映、意見発表会、合唱コンテスト、壁新聞など、多彩に企画された。最初の憲法学習会(1967年)は生徒会主催で実施された。クラブ活動も盛んで、多くの成果を生んでいる。何よりも生徒会の成長を示したのは、第1回全校討論集会の企画と運営をとおして、全校生徒を結集し、集会を成功に導いた力であった。PTAもまた、”学習し、行動する自主組織”への脱皮を着実に進めていく。総会時の後援会、独自の学習会などを企画、成功させていく。PTSによる三者懇談は毎年のように起こる校納金値上げ問題だけではなく、日常の生活や学習に関する親子の対話の場ともなっていった。民主的な教育づくりを目指していた本校の教師集団として、内外の政治・教育情勢に無関心でいることはできなかった。「恵庭・長沼事件」「紀元節復活」「靖国神社国営化」「家永訴訟」「教育課程改訂」など、憲法と教育基本法の精神に逆行し、民主教育の前進を阻害するような動きが強まっていたからである。
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試練を乗り越えて(1969〜1972)
「大学紛争」の時期、その影響を受けた執行部が成立したが、全校生徒の支持を得られず、短時日で辞任した。彼らの主張や行動を厳しく批判したのは生徒の中の良心であったが、一連の混乱の中で生徒会不信や無関心の空気が広がっていく。しかし、2年間の「代行」執行部の下で、フィリア祭をはじめ諸行事は取り組まれた。特に、一連の「自由化」の集大成でもある「制服自由化」を実現させた生徒たちは、ついに自らの手で生徒会再建をかちとっていく。1972年春に突然起こった「校舎移転問題」では、教育と経営が厳しく対峙した。教職員・父母・生徒は「本建築」「共学」実現を条件に、やむなく承諾した。だが、外的事情からこの問題は突然に破棄された。
民主化の拡がりの中で(1973〜1980)
「移転問題」をとおして、教職員集団は、学校運営の一層の民主化の必要性を痛感し、校長・総務部などの公選制を実現させた。全教職員の選挙によって、第3代・松田平太郎校長が誕生する。新体制の下で、教職員集団は、これまで以上に多面的・自主的に教育活動に取り組んでいった。生徒・父母との連携を強め、さらに琴似地域の教育要求にこたえ、「西区市民会議」の活動に参加していく。全盲生受け入れなど統合教育の一端を担い、直接請求を含む私学助成署名運動にPTA、生徒会と共に学校ぐるみの取り組みを前進させていく。学力向上と進路に対応した教科実践では「自主編成」が重要課題として認識されていく。HR集団づくりを目指す担任教師の「学級通信」活動の輪が着実に拡がっていく。
生徒会もまた、フィリア祭・校納金値上げ問題など積極的な取り組みを強めていく。さらには、生徒の中に起こった諸問題の自主的・集団的な解決を目指して、生活改善運動を全校に提起していく。PTA活動も着実に前進した。特筆すべきことは、HR父母会活動の定着、委員会体制の拡充、行事参加など日常的な学校(教師・生徒)との連帯の拡がりである。このような父母による教育活動の中から卒業生父母を中心に「北星の教育を語り支える会」が結成された。
たな将来展望へ(1992〜2001)
第4代・小嶋孝明校長(1991年)を中心に教育改革を進め、新札幌高等学校として「文理クラス」の在り方の検討を繰り返すと共に、学園三校「沖縄への修学旅行の実施」や「勉強合宿、小論文指導」などの学習指導の実践的な発展を経過する一方、情報教育の充実を目指し、道内では珍しかった「HPの発信」と情報設備の充実を行なった。さらに、これらの実践に呼応するように生徒会活動では、「フィリア祭」や「私学助成金署名運動」の大幅な見直しや、戦後50年の学園の取り組み(1995年)と同時に「平和宣言」発表し、1999年には、1993年度から開催を見送っていた「生徒総会」復活と「自衛隊の海外派遣ガイドライン法案に関する声明文」を発表した。そのような実践を積み重ねる一方で、時代は1993年をピークとする生徒急増期から急激な少子化の時代を迎えていた。1996年以降、北星学園は「将来構想」の全般的検討作業に入った。その動きに対応して本校も新たな将来展望作りをめざすとりくみを開始した。「将来構想検討委員会」(1996年~1997年)を引き継いだ「教育改革推進委員会」(1998年~1999年)を軸とする諸議論の中から、新カリキュラム実施の課題とあわせて「大学附属化」実現が現実的選択肢として浮上してきた。学内、学園内の討議を積み上げて、とりわけ大学側との諸協議をへて、それは「2002年度実施」で合意をみたのであった。 2001年度はその具体化のための準備期間でありあわただしく推移した。「高大連携会議」の定期的開催を通じて、大学推薦枠拡大と高校側からの推薦条件・基準問題を含む高大連携(接続)に関わる諸問題を相互に協議、決定した。 大学附属化実施を前提に、この間、学内機構改革を含む教育諸改革に取り組んできた。その一つは2002年度入学生からの「(従来の「文理コース」に代わる)進学コース」の設置と教育水準の向上をめざす取り組み、二つに、教師の集中点強化をめざす分掌改革を含む機構改革および諸行事の精選、授業体制上の改善などの取り組みである。これらの改革的諸実践が有効な成果をどれほどあげ得るのか、附属化を目指す本校にとって、これまでの歩みとは大きく異なる課題であり、大きな挑戦でもあった。それは教職員が一丸となった取り組みを進め、生徒・父母・同窓生とも共同し、大学の力に依拠しつつ教育成果を向上させる取り組みが求められたものである。
また、少子化の進行の中で学校生き残りの道を探りつつ、受験競争偏重の時代的風潮の中でプロテスタント・キリスト教の精神を土台とした「人格教育」に挑む取り組みでもあった。
新たな実践へ ~北星学園大学附属高等学校として~(2002〜2008)
北星学園男子高校(1962年)から北星学園新札幌高校(1986年)、そして北星学園大学附属高校(2002年)と三度目の校名変更が行われ、「活気のある学校づくり」を目指し、いくつかの新たな取り組みをスタートさせた。まず、大学附属高としての高大接続教育。ここでは「情報教育」「英語教育」の大学連携教育充実に向けて練られたシラバスの実践を探った。そして「共育」の具体化としての「指定強化クラブ」政策、さらに北星大学をはじめとする「進路指導」の充実。また、修学旅行を総合研修旅行へ一新し、沖縄(国内コース)、韓国コース、中国コース、ベトナムコース、シンガポール・マレーシアコースを設置し、生徒自身のコース選択と事前学習の充実、旅行後のまとめ学習など異文化、平和学習を中心に生徒自身の生き方を考える取り組みの開始などに着手したのである。
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理念の継承と実践の発展へ ~教育目標と教育方針の実践へ~ (2009〜現在)
2008年度より、附属高校に求められている教育として、「大学接続教育」と「クラブ指導」、「進路指導の強化」が求められた。2009年度には、「普通コース」を廃止し、「特別進学コース」を設置し、「進学コース」と「特別進学コース」の2コース制とした。そのため、改めて「大学接続教育」「クラブ指導」「進路指導」の3つの柱を貫く教育目標と教育方針づくりを進めた。本校創立時の「教育綱領」や「教育規範」などの理念継承に立ち返りつつ、本校が求めている教育実践を見直し、「教育目標」と「教育方針」を定めた。その方針通り、生徒たちの視野を広げるとともに学びへ高めるため、本校教育の軸とする「総合学習」を始め、学びの質を高める取り組みの研究と実践が追求されつづけている。
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有关防止校园欺凌
いじめ防止に関する考え方
■基本理念
いじめは、その子どもの将来にわたって内面を深く傷つけるものであり、子どもの健全な成長に影響を及ぼす、まさに人権に関わる重大な問題である。全教職員が、いじめはもちろん、いじめをはやし立てたり、傍観したりする行為も絶対に許さない姿勢で、どんな些細なことでも必ず親身になって相談に応じることが大切である。そのことが、いじめ事象の発生・深刻化を防ぎ、いじめを許さない生徒の意識を育成することになる。
そのためには、学校としてあらゆる教育活動において生命や人権を大切にする精神を貫くことや、教職員自身が、生徒を一人ひとり多様な個性を持つかけがえのない存在として尊重し、生徒の人格のすこやかな発達を支援するという生徒観、指導観に立ち指導を徹底することが重要となる。
本校は聖書を土台とするキリスト教主義学校として、心や人格を育む教育を大切にしながら50年の歴史を進めてきた。その揺るぎない歩みの中で「キリスト教の精神に根ざし、他者と共に生きる」ことを教育目標とし、「自立した市民としての人格形成」をめざしている。
この考えに立脚し、ここに北星学園大学附属校いじめ防止基本方針を定める。
■いじめの定義
「いじめ」とは、生徒等に対して、当該生徒等が在籍する学校に在籍している等当該生徒等と一定の人的関係にある他の生徒等が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった生徒等が心身の苦痛を感じているものをいう。
具体的ないじめの様態は、以下のようなものがある。
・冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言われる
・仲間はずれ、集団による無視をされる
・遊ぶふりをして叩かれたり、蹴られたりする
・金品をたかられる
・金品を隠されたり、盗まれたり、壊されたり、捨てられたりする
・嫌なことや恥ずかしいこと、危険なことをされたり、させられたりする
・パソコンや携帯電話等で、誹謗中傷や嫌なことをされる 等
■いじめ防止のための組織
(1) 名称:教育相談委員会(実態に応じて生活指導部会が対応することもある)
(2) 委員構成:教頭(教育相談委員会担当)、各学年主任、養護教諭
(なお学校外からスクールカウンセラーを加える。また必要に応じて臨機応変に校長や生活指導部長を加え
ることもある)
議事進行は担当教頭が行う。
(3) 役割
学校いじめ防止基本方針の策定
いじめの相談・通報の窓口
相談窓口は全教員及びスクールカウンセラーとし、生徒が相談しやすい教員等に相談できることとする。
3 取組の把握・検証
教育相談委員会は、いじめや不登校、学校生活への不適応など様々な事象に対して対応する委員会であり、定期的に開催される学年会議において問題が発生したときに会議を持つこととし、必要に応じて、学校の最高議決機関である職員会議で審議する。
また、必要に応じて基本方針の見直しなども行う。
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